自分が経営しているIZAKAYA VIN の中での話で申し訳ないが、最近のお客様の注目はいつもブルゴーニュである。
インスタグラムを開いていても、つながりのあるワインラバーの注目は常にブルゴーニュばかりだ。特にルーミエやアルマン・ルソー、トルショーが多い。
自分がワインにはまり始めた20代の時(20世紀末)は、メドックの格付けワインから勉強して、サンテミリオンやポムロールに憧れを抱いたものだった。
21世紀に入ると、世間では次代のシンデレラワインを求めたり、ガレージワインなどを探したりと盛り上がっていた気がする。
実際、ワイナートの2001年春、2002年冬 2004年春の特集には新進気鋭のボルドー生産者が特集されていた。
自分は今でもボルドーは大好きだ。
だが、以前に比べてボルドー人気は下降気味に感じられる。
もともと生産量の少ないブルゴーニュのワイン。
値段が高騰し続けているにもかかわらず、注目はいつもブルゴーニュだ。
当店ではボルドーが昔に比べて、オーダーされる回数が減ってきている。
クオリティは格段に上がっているにも関わらず。
あの時に誰もが熱狂したワインたちは現在、自分に関わる方々の琴線に触れることがないのか全然SNSに登場してこない。そのことが嬉しくもあり、寂しくもある。そんな気持ちが募り、今回は自分がかつて熱狂して、夢中になったワインを紹介したいと思う。
『テルトル・ロットブフ』
サンテミリオン地区
1999年にサンテミリオンを探索していた時、まちの広場にある酒屋さんに立ち寄り、オススメのワインを訪ねてみた。
そこで特別にテイスティングさせてもらったのが、
『ロック・ド・カンブ1989年 AOC コート・ド・ブール』
だった。
今までに飲んだことのない味わいに、驚きと感動を覚えて、店主にすぐに紹介してもらった。
ロック・ド・カンブに行きたかったが、ここのワイナリーの本拠地であるサンテミリオンのテルトル・ロットブフに行くといいと言われ、無理を言って訪問させてもらった。
ボルドーの中心地から車で約1時間、リブルヌの街を越えて、サンテミリオンに到着。目印の少ないややこしい道を通り抜けると、本当にシャトーなのか疑いたくなる作りのテルトル・ロットブフが見えた。
そこからは驚きの連続だった。
ワインに対する常識を覆されたようなあの体験は、なかなか出会えない。
人生でも数回あるかのような最高の体験だった。
それまでにメドックの格付けシャトーや、右岸のワイナリーの代表的なところは訪問させて頂いていたので、テルトル・ロットブフの世界観は初体験だった。
ワイナリーは、とても小さく、シャトーとはお世辞にも呼べない。だが、質素ながら趣があり自然と調和しているかのような佇まいだった。
応接間でしばらく待たせてもらったが、膨大な書物が並び、哲学書、美術書や歴史書が並び、このオーナーはとても知的な方に違いないと確信した。
そしてテルトル・ロットブフの当主、フランソワ・ミジャヴィル氏がやってきて、笑顔で迎え入れてくれた。
とても知的で優しく、時々皮肉を交えて色々なことを教えてくれた。夢中になって熱く語るときは息つく間もなく喋り続けてくれた。
そんなミジャヴィル氏にとても惹かれ、夢中になってしまった。
情熱家でもあるが、アウトサイダーであるところが好きだったのかも知れない。
このシャトーは義理の父であるエミール・ジラールから受け継ぎ、元々はテルトルという名前であった。
ミジャヴィル氏は有名な運送会社の一族に生まれ、その子会社の社長をしていたが、結婚を機に26歳にしてワインの世界に入ってしまった。
1974年のことだったが、資本家でありブルジョワ的な立場だった彼が、栽培から醸造まで行うのは世間から見て異様な光景だったに違いない。
フィジャックとシュバルブランでワイン造りを学んだあと、1978年に現在の地に戻り、ワイナリー名を『LeTertre Roteboeuf』に変更した。
「げっぷ牛の丘」と大まかに訳されている「テルトル・ロットブフ」という名前は、中世に牛が放牧されていたと思われる時代に敬意を表している。
ワイン造りの世界に魅せられ、周りの反対を押し切り、好きな仕事をすると決意した彼は、ワイン造りというものを深く考察し、様々なアプローチをし続けている。最先端テクノロジーには一定の理解を示すも、自分のところの規模を考慮して採用はしない。それよりも自分で観察しながら、手作業で行うことに楽しみを覚えているようだ。
また伝統的なネゴシアンシステムよりも、輸入業者や商人に直接ワインを販売することを好み、サンテミリオンの格付けにも加わろうともしない。それにも関わらず、リリース直後に完売する稀有なシャトーだ。
ワインに向き合い、独特のワイン造りを貫き、クオリティだけで勝負できるワインを作り続けている。
1978年がファーストヴィンテージだが、1981年ぐらいから手応えを感じたらしい。
初めて新しいフレンチオーク樽で熟成されたのは1985年のヴィンテージから(50%)。財政基盤が整った1989年から新樽100%にした。
この1989年が転換期だと本人は言う。
一連の説明を受けた後、地下セラーでのテイスティングが始まった。
1989年のロック・ド・カンブに感動してここにきたことを伝えたが、そのワインはコート・ド・ブールにあり、こちらには置いていないとの事。
その代わりにテルトル・ロットブフで比べようじゃないかという事で、1989、1990年を出してくれた。
それはとても官能的なワインで、シルクのように滑らかでエレガントの極致だった。
その前に酒屋で感動したロック・ド・カンブ1989年はまだまだやんちゃで力強くスパイシーで荒削りに思われた。
ミジャヴィル曰く
テルトル・ロットブフのテロワールはとても繊細でエレガント。丘の中腹の斜面で、石灰岩と粘土をベースにした土壌。半円形劇場な畑は排水性に優れている。サンテミリオンの中ではとても涼しい。
比べてロック・ド・カンブのセラーは川の近くでより深い。涼しくてゆっくり熟成する。さらに品種とテロワールのせいか長熟。ただタンニンがやや粗いという。粗いタンニンは香りの華やかさを阻害するという考えの彼は、そこが問題点と捉えていた。
ロック・ド・カンブに感動した自分に対して、まだ君は未熟だと言わんばかりの怒涛の解説に戸惑いもしたが、テルトル・ロットブフのあの滑らかで官能的な液体は間違いなく、自分の人生でTop10に入る味わいだった。
*Tertre Roteboeuf
80%がメルロー、20%がカベルネフラン
*Roc de Cambes
Côtes de Bourgに12ha メルロー 90% カベルネ・ソーヴィニヨンとマルベックが混じる
このワインの秘密を語るミジャヴィル氏。
芸術家のようなしゃべり口が素敵だ。
『素晴らしいワインとは官能的でなくてはならない。
硬いタンニンは熟成を助けるかもしれないが、芳香を妨げる。
美しいワインを生み出すためには、完熟、もしくは過熟したぶどうが必要だ。
過熟して死にゆくぶどうの中にも美しさがある。
危険を冒していても熟したタンニンであるべきだ』
ミジャヴィル氏はタンニンが熟し、酸度の低いぶどうを求める。
最良のタイミングを見計らって収穫するため、1日で全て収穫することが多い。しかし収穫人を確保するため、約2週間契約する必要があるという。
とても効率が悪いが、理想を追求するには仕方がない。
このようにリスクを負って品質を追求した生産者は、ボルドーでも類を見ない。
帰り際、果樹の木がある素敵な庭の前で彼は、
『ワインは外で飲むほうが、美味しく感じる。
自然を感じながらワインと向き合った方が、何倍もいい。
地下セラーは感覚を研ぎ澄ませるが幸せはない。
やはり外の大地の風を味わいながら飲むワインが一番うまい。
君はそこでロック・ド・カンブを飲んだのだね。ありがとう。』
と言ってくれた。
こんな素晴らしいワイナリーは他に無い。
当時ブルゴーニュに住んでいた自分は思わず、ここで働かせて欲しいとお願いしましたが、あっさり断られました(笑)
もしかしたら、未熟な自分への皮肉の言葉だったかも知れない。
それでも彼の知的でウィットに富んだキャラに魅了され、いまでも最高のワイナリーはテルトル・ロットブフだと思っている。
世間ではブルゴーニュのような小規模生産者が好まれているが、ボルドーでもこのような情熱的でドメーヌ的な生産者がいる。
ここはその代表的なワイナリーだろう。
もし飲んだ事がないワインラバーがいらっしゃるならば、是非このテルトル・ロットブフを味わって頂きたいと思っています。あの時の感動をみなさまが少しでも感じてくれたら嬉しいです。
*ちなみにこのテルトル・ロットブフは世界的に最高評価のワインなので、値段はとても高価です。とはいえブルゴーニュのグランクリュを飲むと思えば、そこまで変わりません。
* 1987年からコート・ド・ブール地区にロック・ド・カンブを作る。
* カスティヨンにもDomaine de l’aurageを所有
<ソムリエプロフィール>
加藤 重信
IZAKAYA VIN 代表
家族の影響で幼少の頃よりワイン文化に触れ、1999年にフランスに滞在。
毎日のようにワイナリーをめぐる。
渋谷で唯一のシャンパンバーや恵比寿にワインバーを立ち上げ、現在は
IZAKAYA VINの代表に就任。