亜硫酸、俗に酸化防止剤とも呼ばれるこの物質は、超長距離輸送と長期保存が常識化した近代ワイン産業にとって、欠かすことのできないものとされている。
しかしいつの時代も、近代化と原点回帰は交互に繰り返されるものだ。近年の世界的な亜硫酸無添加ブームは、一歩間違えれば盲目的な思想を消費者に押し付けているにも関わらず、明らかな欠陥ですら美点と勘違いさせるような、不可思議かつ強力無比な洗脳力を時に発揮して、世界のワイン市場を席巻した。
誤解なき様に先に断言するが、私自身は亜硫酸無添加のワインで、心を激しく揺すぶられるような感動を幾度となく体験している。正しく作られた無添加ワインは、普通のワインには決してなし得ない未知の魅力を教えてくれる。だが無添加ワインの中には、許容範囲を大きく超えた欠陥だらけのどうしようもないワインが、真っ当な無添加ワインよりも遥かに多く存在しているのもまた事実だ。
「正しい場所に、正しい葡萄が植えられ、正しくオーガニック(ビオディナミ)で栽培され、天候に恵まれ、清潔なセラーで、造り手の卓越した観察眼と判断力と献身をもって作られたら、無添加でも可能になることがある。」(マルク・アンジェリ)
フランス・ロワール地方で、多大なる尊敬を集めるナチュラルワインの賢人の言葉を借りるなら、本来無添加でのワイン造りとは、非常に厳しい条件が必要となるものだ。そして、葡萄品種によっても、無添加への向き不向きというものがある。
©︎(株)ラシーヌ
無添加にとっては尚更重要な選果。左は加えるが、右は廃棄する。全て目で見て判断するそうだ。
私は世界中の相当な種類の葡萄で、通常のものと無添加のものを比べる機会に恵まれてきた。その中でも、群を抜いて無添加に向いていないと考えてきた葡萄がある。
リースリングだ。
より正確にいうと、無添加リースリングの魅力が、なかなか理解できなかった。リースリングを無添加で造ると、まさに原型を留めないというか(無添加の方が本来は原型なのだから、これはパラドックスだが)、これまで知ってきた「リースリングらしさ」がどこにも見当たらないという経験を何度もしてきたのだ。
しかし本日のテイスティングは、その考えを改める大きな一歩となったので、ここにレポートする。
比較というのは、正確な検証をする上で非常に重要なものであるが、今回のテイスティングでは、同一生産者、亜硫酸無添加と添加、同一ヴィンテージの畑違い、同一畑のヴィンテージ違いと、検証に必要なあらゆる縦軸と横軸が揃っていた。
生産者は1978年からビオディナミ栽培を続けるRita&Rudolf Trossen。(ドイツ・モーゼル)
1. 亜硫酸無添加と添加
添加されているリースリング(と言っても一般的な添加量に比べれば、遥かに少ないが)は、いわゆるリースリングらしさがしっかりと表現されているが、無添加のものはやはり「らしさ」を見つけることが難しい。リースリングは抗酸化能力が非常に低い葡萄であることから、無添加の場合、酸化のニュアンスが大きな比重を占めてしまう。しかしこれは、「らしさ」を求めた場合の価値判断であり、品質の優劣とは一切の関連性が無い部分である。亜硫酸にはワインを型にはめる性質がある。それが、リースリングの場合はより顕著に現れるというだけだ。
亜硫酸を添加したキュヴェ。クラシックな味わいで、極めて完成度が高い。
2. 同一ヴィンテージの畑違い
テロワールを正確に表現するなら、最低限の亜硫酸は必須、と語る生産者は多い。事実、無添加によって生じた風味は、テロワールをマスキングすることが多々ある。しかし、今回テイスティングした同一ヴィンテージ畑違いの無添加リースリングは、どれもが明確に畑のテロワールを刻んでいた。むしろ、生々しいほど克明に刻んでいたと言える。これが造り手の力によるものなのか、リースリングの特性なのかは現時点では判断が難しいが、少なくとも事実として体験したことだけはお伝えしておきたい。
どれも明確にテロワールを表現。樹齢100年以上で自根のSchiefergold Purus 2014はまさに圧巻の出来。
3. 同一畑のヴィンテージ違い
テロワールと同様に、ヴィンテージの個性も、無添加風味が覆ってしまうことが多々あると考えてきた。しかし、この点に関しては、今回私は完全に考えを改めるべきだと痛感した。それほどまでに、恐ろしく精密かつ緻密に、ヴィンテージの違いが表現されていたのだ。この違いの幅は、私が過去に経験したあらゆる垂直テイスティングの中でも、最も広いものであった。貴腐菌が多く発生した2013年はグリップの強い果実味と酸があり、冷涼な2014年は抑制の効いたエレガンスを讃えており、温暖な2015年は太陽のエネルギーが詰まったような明るい味わいであった。亜硫酸はワインを型にはめる性質があると書いたが、ヴィンテージの個性もその型にはめていた可能性が高いのでは無いだろうか。無添加ワインは、こういう発見を時折もたらしてくれるのだから、本当に興味が尽きない。
ここまで明確にヴィンテージの個性を刻んでしまうのは、造り手にとって恐ろしいことでもあるはずだ。
総括の代わりに、改めて無添加リースリングの魅力に迫ってみる。
無添加にすることによって、確かにこれまで慣れ親しんできた「リースリングらしさ」は、他の葡萄の無添加の例と比べても、遥かに見つけにくくなる。そして、ただでさえリリース直後は硬いリースリングが、無添加だと尚更時間がかかるのも難点だ。しかし、本日テインスティングした2014年の神々しいまでの風格と、緻密で繊細なバランス、全方位に広がる奥深さ、滋味深くどこまでも優しい味わいは、無添加ならではのものであり、何物にも変え難い至福の体験であった。そして、無添加リースリングの、畑のテロワール、ヴィンテージの個性を余すことなくパッケージする能力にも、心底驚かされた。