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その憂いが、世界を変えた <ボジョレー特集後編>

愛するものに、自らの理想像を押し付ける。厄介極まりないヒトの性に、筆者もまた囚われている。ありのままを受け入れたいと建前を言い放ちながらも、本音では自らが受け入れられる折衷点を常に探っている。それは結局のところ、部分的にでも理想を押し付けていることと何ら変わらないことと知りながら。筆者のような妄執に囚われたものが、そこから抜け出し、冷静かつ公正でいるためには、指針が必要だ。動かざる指針が。サステイナブル社会が問う「造る意味」と「造る責任」。ワインにおいて、造る意味の大部分は「テロワールの表現」に宿る。そして、造る責任は「無駄にしないこと」に集約される。それらは確かに、私にとっては動かざる指針だ。今一度、自らを縛り付ける頑なな情熱と向き合ってみよう。手にした二つの指針を頼りに。


非常に古い時代の姿をそのままに残す、ボジョレーの古樹


ジュール・ショヴェの系譜

『ボジョレーとは、香りのワインである。』


第二次世界大戦後に、化学肥料と化学合成農薬の助けを得て大幅に高収量化した代償として、潜在的な脆弱性を抱えてしまったボジョレーの葡萄は、過度の補糖や亜硫酸添加、不必要な添加物、そして強い濾過によって補強と矯正を施されていた。そして、みるも無残に「生命」を失っていたボジョレーを憂い、強固な科学的知識と数多くの実験をバックボーンにして、過去の美しいワインの姿を取り戻そうとした一人の醸造家が、先の言葉を残すこととなる。その醸造家の名は、ジュール・ショヴェ。彼の憂いは、やがて世界中を巻き込む巨大なうねりとなり、工業化の一途を辿っていたワイン産業を農業へと引き戻し、現代まで続くナチュラル・ワインというアンチ・カルチャーの礎となった。


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