個で全を語ることは危険であり、一つのソリューションが全てを救うという希望もまた、ただの夢想に過ぎないのではないだろうか。
「ワイン不耐性にようやく光が」(ジャンシス・ロビンソンMW著、小原陽子訳)と題され、オンラインワインメディア「Vinicuest」上で公開された記事(訳文はこちらのリンクから、原文はこちらのリンクから)は、日本のワイン業界に、大きな波紋を呼んだ。
SNS上でもリアルの会話でも、コンヴェンショナル派(慣行派)とナチュラル派がこの議題に対して、議論を活発に繰り広げ、特にナチュラル派の中には、自らが信じてきた「低亜硫酸ワインは頭痛にならない」という主張を真っ向から否定されたと誤解し、極端な拒絶反応を示す人々も多くいた。筆者はどちらかというと(サスティナビリティという広い範囲を含めると)ナチュラル派に属しているが、「感情的な拒絶反応からは論理的思考は生まれにくい」と強く注意喚起をしたい思いに駆られている。
やや不毛な争いへと走っていたこの論争に対して、論理的かつ科学的フォローアップをするために、翻訳者である小原陽子さんが、特別ウェビナーを作成し、オンデマンド講座(受講価格1,500円)として提供している。
筆者はすでにこの講座を購入し、数回視聴させて頂いたが、大変素晴らしい講座となっているので、是非SommeTimes読者の皆様にも、オンデマンド講座を購入して視聴していただきたい。
また、小原陽子さんの素晴らしい取り組みに心からの敬意を表する意味でも、本記事では講座そのものの具体的な内容に関しては、論じていく上で重要と考える部分以外は、極力ふれないこととする。
マスター・オブ・ワイン資格取得のための論文として、ソフィー・パーカー・トムソンMWが発表し、ジャンシス・ロビンソンMWが記事にし、小原陽子さんが翻訳とウェビナーを提供したこの一連の議題には、二つの主役的存在がいる。
生体アミンとSO2だ。
まずは端的に説明するが、ワイン不耐性の原因とされる(ワイン中に含まれる)生体アミンの増殖を、SO2の正しい添加によって大幅に抑制することができる、というのが本題である。
ここでまず、極めて重要な補足を入れておく。この議題の対象となっているのは、あくまでも「ワイン不耐性」であり、「二日酔い」では無い。ナチュラル派に非常に多く見られた極端な拒絶反応は、この部分を明らかに見落としていると考えられる。それに、ソフィー・パーカー・トムソンMW自身が明確にしているように、彼女の発表には、ナチュラル・ワインを否定するような意図は一切含まれてはいない。
ワイン不耐性と二日酔いは、共に頭痛、吐き気、発疹、紅潮といった症状を引き起こすものであるが、発生するタイミング、経緯、原因物質が大きく異なると考えられている。
ワイン不耐性は、生体アミンの中でもヒスタミンを主因(その他の生体アミンによる影響もあるとのことだが、詳しくはオンデマンド講座にてご確認いただきたい)として、生体アミン自体の毒性によって、人体に影響を及ぼすと考えられている。
一方で二日酔いは、アルコールが肝臓の機能によって分解された際に生じるアセトアルデヒドの毒性によって、影響が出ると考えられている。つまり、生体アミンよりも影響が出るまでに一つ段階が多いため、発生するタイミングもワイン不耐性に比べて遅くなるのが一般的だ。
現在、約10%の人々が、ワイン不耐性(もちろん、深刻度には個人差がある)をもつと考えられているそうだ。
オンデマンド講座では、生体アミンが生成される原因として、SO2以外の物質や条件にも触れており、生体アミンの中でも特に毒性の強いものが分解される(無毒化する)ことを妨げる様々な要因に関しても触れられているが、やはりSO2の効果的な添加こそが最も有効な抑制手段であることは、講座の内容から判断する限り、ほぼ確定的に判明していると言えそうだ。
大元の論文の著者であるソフィー・パーカー・トムソンMWは、生体アミンの生成量を抑制する可能性が高い醸造方法を複数挙げており(これらの内容もオンデマンド講座で紹介されている)、それらの醸造方法が真に毒性のある生体アミンを抑制し、そして一部の生体アミンが真にワイン不耐性と関連性があるものなのであれば、ジャンシス・ロビンソンMWが書いた記事のタイトル通り、まさに「ワイン不耐性にようやく光が」見えてくる、ということなのだろう。
ここでもまた、重要な補足をしておく。ソフィー・パーカー・トムソンMWはあくまでも科学的検証結果に基づく「可能性」の話をしている。決して断定しているわけでもないし、ナチュラル・ワイン側の意見を否定しているわけでもない。無意味に過敏な反応は、重々控えるべきだ。それに、現在正しいと信じられている科学的検証結果が、後の検証によって否定される、ということは往々にしてある。(葡萄の遺伝子調査の結果に、何度騙されてきたことか!)
さて、実はここからが、SommeTimesとしてのこの議題に対する疑問の本題となる。
先ほども述べたが、この議題はあくまでも生体アミンとワイン不耐性に限定されたものであり、その他のいまだ未解明な現象とは関連していない。
ワインと人体の関係性に関して、一部科学的な検証はあえて無視している(科学とは、100%正しい結果になることが極めて難しいものである)ものの、実体験をベースにして、未解明なものを挙げつつ、この議題自体への筆者の疑問点も挙げておく。
1. 低亜硫酸ワインと二日酔いの関連
二日酔いの主因成分(要因の全てでは無い可能性も十分にある)とされるアセトアルデヒドは、体内に存在するグルタチオンという酵素の働きによって、無毒化されると考えられている。SO2はグルタチオンの働きを阻害するという研究結果が報告されており、二日酔いに限定すれば、SO2との関連性を否定しきれていない。しかし、そもそもSO2を添加していない酒類(日本酒やウィスキー等、多々存在する)でも二日酔いは当然のように発生することから、ワイン飲酒による二日酔いとSO2の間に関連性がある可能性が示唆されている背景には、ワインに含まれている「他の何か」も絡んでいるのかも知れない。どちらにしても、現状では未解明である。
2. ナチュラル派に頻発(?)する謎の不耐性
筆者はかつて、コンヴェンショナル(SO2をしっかりと添加した)ワインをより多く飲んでいたが、その当時(まだ若かったというのもあるかも知れないが)は、頭痛とは無縁だった。しかし、ナチュラル・ワインを中心に飲むようになって以降、コンヴェンショナルワインを飲むと、非常に早いスピードで、かなりの強度の頭痛に襲われるようになった。科学的ではなく、あくまでも実体験ベースの(定量的では全く無い)検証ではあるものの、頭痛発生までのスピードと頭痛そのものの強度は、亜硫酸添加量と比例関係にあるように思える節がある。(添加量の多い)甘口ワインは、その意味では私にとっては天敵であり、甘口ワインが大好きな筆者にとって、非常に悩ましい問題である。
定量的で無い以上、このような発言は科学的には完全にNGではあるが、私の周囲にいるナチュラル派には、私と同様の変化が起こっている方々が、決して少なく無い割合で存在している。当然、完全に未解明どころか、研究が進んでいるかすら、極めて怪しい。
3. ワイン不耐性の原因は生体アミンだけなのか?
ソフィー・パーカー・トムソンMWは、生体アミンだけをワイン不耐性の原因として断定しているわけでは決してない。あくまでも主因成分として非常に高い可能性の一つ、としているに過ぎない。(詳細はオンデマンド講座でご確認頂きたいが)生体アミンの生成を抑制するための理想的なSO2添加タイミングと添加量は、慣行的なワイン造りにおいて、全くもって特殊なものでは無い。むしろ、非常に一般的な範囲の添加タイミングと添加量と言える。近年は、添加タイミングが瓶詰め前頃に限定されるケースも確かに増加傾向にはあるが、単純に「量」の話をするのであれば、ソフィー・パーカー・トムソンMWが推奨する方法を当たり前のようにやっているワインの方が、圧倒的多数であることは間違いない。もちろん生体アミンの増殖と抑制に関連した「その他の要因」も明示されているため、実情が遥かに複雑であることは理解できるし、そういったワインに含まれる「生体アミンとは全く別の何か」が、毒性をもっている可能性も捨てきれないかもしれないが、それでも「SO2の正しい添加によって生体アミンを抑制し、ワイン不耐性に対して強力な効果を発揮するのであれば、ワイン不耐性に苦しむ人の割合は、(そのタイプのワインの生産量の圧倒的な多さを鑑みれば)もっと少なくても良いのでは無いか?」という、単純な疑問が完全には解決されていないように思える。
さて、話を本稿の冒頭に戻そう。
個で全を語ることは危険であり、一つのソリューションが全てを救うという希望もまた、ただの夢想に過ぎないのではないだろうか。
ソフィー・パーカー・トムソンMWの素晴らしい功績によって、ワインと人体の関係の謎が、大きく解明に向けて前進したのは間違いないだろう。もし仮に、この研究結果が間違っていたと未来で証明されたとしても、そこに向けた前進の偉大な一歩であることには変わりない。我々には、まだまだ長い道のりが待っている。その道程で少しずつ明かされていく謎と共に、ワイン道を楽しみ、嗜んでいきたいものだ。