興味は常にもっていた。
テイスティングも定期的に行ってきた。
だが、歴史的銘醸地とされているChianti Rufina(正確な表記はChianti Rùfinaだが、以降Rufinaと表記)のワインが、私に最高の満足感を与えてくれることは、これまで一度もなかった。
15世紀初頭には既にその名が知られ、コジモ三世による世界初の「原産地認定」(1716年)においては、現在のChianti Classico、Carmignano、Valdarno di Sopraと並び、Rufinaが内包するPominoがその栄光を掴んだ。
19世紀に入る頃には、ずんぐりとしたフィアスコ・ボトルに詰められ、藁の腹巻きで飾られたRufinaが、良くも悪くもキアンティの代名詞となった。
歴史の重みはあれど、少なくとも現代のRufinaは、Chianti Classico、Brunello di Montalcino、Vino Nobile di Montepulcianoといった真の銘醸と並び得るワインでは到底ない。
それが私の中で、Rufinaに対して固まりつつあった評価だった。
Chiantiと名のつくDOCG群の中でも、最も標高が高く冷涼で、エレガントなワインが生まれる。
垢抜けないRufinaを好意的に表現するために度々用いられるこれらの言葉は、部分的にしかその実態を捉えていない。
最高地点の葡萄畑は確かに標高700mに到達するが、葡萄畑のほとんどが200~500mの範囲に集中しているため、高標高産地と一括りにするには流石に無理がある。平均的な標高でいえば、ClassicoのサブゾーンであるRaddaやLamoleの方が高い。
トスコ=エミリアーノ・アペニン山脈から冷風が降りてくるこの谷が冷涼なのは間違いないが、エレガントという言葉は、物足りなさを誤魔化すための都合の良い隠れ蓑になってきた感が否めない。
例えばブルゴーニュでは、Chambolle-MusignyやVolnayはエレガントなワインだが、確かな芯の強さがあり、偉大なワインと呼ぶに相応しい酒質となるが、同じエレガント系でもMonthelieにはそれが無い。
そう、RufinaはむしろMonthelie的な性質であり、エレガンスという耳障りの良い言葉で過美に飾られた、薄く、軽く、充実感の無い味わいがその実態だ。
そして、その性質は高収量によって更に薄められた上で、国際品種の助けを不用意に借りたイビツな味わいのワインと成り果てる。
いや、「そうだった」と過去形にすべきだろう。
Rufinaに誕生した最高位格付けであるTerra Electae(テッラ・エレクテ)は、Rufinaのイメージを根底から覆すほどの、革新的なゲームチェンジャーなのだから。