2015年頃から約3年間、熱狂していたと言っても決して大袈裟ではないワインが、私にはあった。一人のプロフェッショナルとして、常に公正公平であれるようにと、ワインと造り手に対して感情移入することを徹底して避けてきた筆者にとって、それは極めて例外的な出来事だった。どこか停滞感が漂っているように感じていたオーストラリアという国に、突然変異的に発生した、底抜けに明るく、親しみやすく、どこまでも人懐っこいワインたち。ヨーロッパ伝統国ではすでに一大勢力となりつつあったナチュラル・ワインとはどこか違う雰囲気を纏った、未知の魅力に溢れたワインに、私はまさに虜になった。新しいワインを試すたびに、驚きと発見がある。ワインそのものも、それらのワインを使ったペアリングも、私の知的好奇心を、これでもかと刺激した。だが、私とオーストラリア・クラフト・ワインの蜜月の日々は、長続きしなかった。
本特集では、筆者がなぜオーストラリア・クラフト・ワインに熱狂し、激しく失望し、数年を経て、また愛するようになったのかを、パーソナルな視点と客観的な視点を織り交ぜながら、追っていく。前編となる本編では、現在から遡った「過去」にのみ、焦点を当てる。構成上、前編はやや批判的な内容が多くなるが、ご承知いただきたい。現在と未来を真っ直ぐ受け止めるためには、過去を冷静に振り返ることは、避けて通れない。
熱狂
バロッサ・ヴァレーのシラーズ、ヤラ・ヴァレーのピノ・ノワール、クナワラのカベルネ・ソーヴィニヨン、マーガレット・リヴァーのシャルドネ、イーデン・ヴァレーのリースリング。適地適品種の考えが古くから浸透し、すでに成熟の域に達していたオーストラリアのワインは、各生産エリアのスタイルが強固に確立され、極めて正確な予測を立てることができる予定調和的なものへと成り果てていた。それは、それらの産地と品種の組み合わせが、「クラシック」として、すでに成立したことも同時に意味していたが、クラシック偏重があまりにも長く続くと、筆者のような移り気な飲み手は、どうしても冷めてしまう。それに、高度な栽培、醸造技術で練り上げられたワインからは、ヴィンテージの特徴も薄れ、毎年同じような味わいのワインが、壊れたリピートボタンのように、無機質に再生され続けているようにも感じていた。オーストラリア・ワインは、筆者がその魅力を多くの人に伝えたいと思う対象から、すっかり外れてしまっていたのだ。
そんな中で出会った一連のオーストラリア・クラフト・ワインは、目が覚めるような衝撃を私に与えてくれた。よく知っている産地のよく知っているはずの品種が、全く知らない味わいになり、聞いたことも飲んだこともないような異質なブレンドはどこまでも興味深く、常識破りの醸造法は新たな扉を開き、非フレンチ系のマイナー葡萄には、新たな時代の到来を感じた。オーストラリア・クラフト・ワインには、どこか強迫的性質をもってしまっていたクラシック・ワインとは真逆の、強烈なアナーキズムと無制限の自由があった。