イタリアが世界に誇る銘醸中の銘醸、キアンティ・クラッシコ。広大なゾーンが認められている通常のキアンティと異なり、限定された集中的なエリアであるキアンティ・クラッシコ(以下、クラッシコと表記)は、平均的品質、価格共に、広域キアンティやその他のキアンティに連なるサブエリア(Rufinaを例外として)とは明らかに一線を画している。
さらにクラッシコでは、既に有機栽培率が総栽培面積の40%を超えており、着実な品質向上を遂げている一方で、クラッシコ外のキアンティ・ゾーンでは、有機転換率は緩やかな上昇に留まっている。このことは、クラッシコ外のエリアでは大量生産型のワインが多く、品質の向上よりも、安定した収量の確保が優先されることに大きな要因がある。
サンジョヴェーゼの本質的な繊細さは、ビオロジック、もしくはビオディナミ栽培でこそ真価が発揮される。
これは、筆者の経験上間違いないと断言できる。つまり、近年ますます、クラッシコと、その他のキアンティの品質的格差は(例外は存在するが)広がっていると言って差し支えは無いだろう。
そんなクラッシコが、近年腐心しているのが、テロワール・ワインとしての更なる進化である。
クラッシコに拠点を置く造り手たちの間で、テロワールの精緻な表現こそが、真に偉大なワインへの唯一の道であるという認識が、強まってきた。それは、国際市場への訴求力や一部の評論家の嗜好を意識したワインメイキングとの決別でもあり、葡萄の過熟を避け、樽の過剰な使用を控え、テロワールの声を忠実に再現することに心血を注ぐ、という意思決定でもある。
しかし、クラッシコ内のテロワールの違いを、サブゾーンをベースにして理解することは、一筋縄ではいかない難題でもある。
2021年3月15日に、Consorzio Vino Chianti Classicoが主催したプレスイベント「キアンティ・クラッシコの産地を360度俯瞰する」では、ワインジャーナリストであり、ワイン産地のマッピングにより「マップマン」としても知られるアレッサンドロ・マスナゲッティさん、キアンティ・クラッシコ・アンバサダーの宮嶋勲さんのガンダンスの元、8つのサブゾーンの違いを、詳細な360度マップや、テクニカルデータと共に、深堀りしていった。
以下は、プレスイベントでの新たな発見に、筆者のこれまでの見地を加えた、現時点での筆者の見解である。
サブゾーンだけでテロワールを理解することが難しい理由は、大きく分けて2つある。
1つは、境界線の不正確さ。現在制定されている8つのサブゾーンは政治的境界線であり、テロワールの境界線とは必ずしも一致していないため、同一のサブゾーン内でも大きくテロワールが異なってしまうことが多い。標高、土壌組成、日照量、積算温度等、非常に多くの変数がこの項目に含まれる。
2つめは、品種、栽培、醸造の多様性にある。主要品種であるサンジョヴェーゼだけでも100種を超えるクローンがあり、さらに補助品種であるカナイオーロ、コロリーノ、カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロの使用割合によっても、大きく味わいが変動する。有機比率の高いクラシコであるが、栽培方法は非常に大きな影響を与える。醸造に関しても、 樽のサイズや新樽比率も含め、様々な変数が生じる。
これら2つの要因の中に含まれる多種多様な変数の組み合わせは、無限に存在するとも言えるため、テロワールの体系的、論理的理解の大きな妨げになっている。
難解なテーマではあるが、少しでも深い理解の手助けとなるように、これらの変数をなるべく簡略化しながら紐解いて行こう。
1. 土壌組成
クラシコにおける土壌組成は主に以下の6種に分かれる。
Galestro(石灰質の瓦礫土壌)
Alberese(石灰質の泥灰土)
Pietraforte(石灰質の砂岩土壌)
Tufo or Tufa(石灰質の粘土砂質土壌)
Argilla(粘土質土壌)
Fluvial(沖積土壌)
これらの主要な土壌タイプは、3つの視点から見ると、整理しやすいだろう。しかし、あくまでも「傾向」であるため、絶対的な指標とはなり得ない点に注意すべきだ。
① 石灰の割合が多くなると、より強い酸がもたらされる。
② 粘土の割合が増えるほど、ワインの重心が低くなり、砂の割合が増えるほど、重心が高くなる。
③ 沖積土壌や粘土質土壌はより肥沃なため、ミネラルが控えめになり、岩石や砂の多い土壌は痩せているため、ミネラルが強くなる。
2. サブゾーン
現在のサブゾーンは以下の8つである。
東部:
Greve in Chianti
Radda in Chianti
Gaiole in Chianti
西部:
San Casciano in Val di Pesa
Barberino Tavarnelle (2019年1月にBarberino Val d`ElsaとTavarnelle Val di Pesaが統合)
Castellina in Chianti
Poggiobonsi
南部:
Castelnuovo Berardenga
なるべく簡略化して述べると、(起伏の多い土地であるため、多少の語弊は不可避であるが)キャンティ山脈に近い東側は標高が高く、斜面が多く、冷涼なエリアとなる一方で、西側は標高が下がり、平地が多く、温暖となる。単純に理解するなら、東側はアルコール濃度が低めになり、酸が高いのに対し、西側はアルコール濃度が高く、酸が低い。となるが、これらの差異はかなり微細なものとも言える。南部のCastelnuovo Berardengaに関しては、東部と西部で上記の性質の差が生じる傾向がある。
3. テロワールの境界線
1と2の要素を統合して考えると、現在の8つのサブゾーンでは、不都合が多々生じてしまう。今後、より正確な理解が進んでいく余地は大きく残されているものの、現時点では、以下の5つのエリアに分けた方が理解しやすい。
① 東部
石火質を含む土壌が主体となり、標高も高い東部では、重心と酸が高く、アルコール濃度が低く、ミネラル感に富んだワインとなる。クラシコの中でも、最も繊細で優美なワインが生まれるエリアとも言える。
② 中央部
土壌に石灰質を含みつつも、やや標高が下がる中央部では、中庸の魅力に溢れたワインが産出されている。また、このエリアに含まれるPanzano in Chiantiという小エリアでは、有機栽培率が90%を突破しており、高い品質のワインが多い。バランス感覚に優れた最も優等生的なワインが生まれるエリアとも言える。
③ 西部
土壌は粘土の割合が増え、標高も低い西部では、重心と酸が低く、アルコール濃度が高く、ミネラルにはやや欠けるものの、おおらかな果実味が主体となる。迫力のある力強いワインが生まれるエリアだ。
④ 北西部
このエリアは沖積土壌が多くなり、他のクラッシコのエリアとはかなり個性が異なる。中央部と同様にバランスに優れたワインが生まれるが、より丸みを帯びた上品な味わいが特徴と言える。また、クラシコの中でもより温暖なエリアとなる。
⑤ 南部
南部は東側と西側で微妙に個性が異なってくるが、Tufoと砂質土壌の割合が多い点が特徴的。温暖なエリアでもあり、土っぽさを伴った味わいと丸みのある果実味、軽やかで華やかなアロマが得られる。
4. 人的要因の考慮
上記の5つのエリアごとの基本的な特徴をベースに、葡萄品種、栽培方法、醸造方法の選択という人的要因を加えていくと、最終的なワインの性質におおよその予測を立てることも可能になるだろう。主要品種であるサンジョヴェーゼは100種を超えるクローンが存在しているため、クローンの種類まで要素に含めてしまうと、非常に理解が難しくなってしまう。まずは、他の側面に集中してしまう方が得策だ。
① それぞれの補助品種の役割
・Canaiolo(カナイオーロ)は最終的なワインに、フレッシュな酸をもたらす。
・Colorino(コロリーノ)色調の濃い品種であるため、主に色の調整のために使用される。
・Cabernet SauvignonとMerlotはインターナショナル風味に仕上げるために用いられてきた側面が強く、ブレンドに僅かにでも含まれると、キアンティ・クラシコ本来の味わいから遠のいてしまう。
これらの中で、最も重要な補助品種は、ワインに明確にフレッシュな酸をもたらすカナイオーロである。
② 栽培方法による違い
キアンティ・クラシコの主要品種であるサンジョヴェーゼは、栽培方法に非常に敏感な品種である。ここも、複雑で奥深い要素であるが、端的に言うと、慣行農法、ビオロジック農法、ビオディナミ農法の順に、果実味とアロマが開放的になり、伸びやかさが増していく。
③ 醸造方法の違い
・発酵槽はステンレス・タンク、セメント・タンク、樽の順に最終的なワインにマイルドな質感をもたらしていく。
・熟成においては、樽のサイズが小さくなり、新樽比率が上がるにつれて、重厚な味わいをもたらす。
④ 要素を統合して大まかな傾向を導き出す
例えば東部のエリアで、カナイオーロを補助品種として15%ほど使用し、栽培はビオロジック農法で行い、醸造と熟成を大樽で行ったとする。
東部の特徴である、低めのアルコール濃度(13.5%前後)で酸とミネラルに富み、カナイオーロがフレッシュな酸を足し、ビオロジック栽培により開放的なアロマがあり、大樽はワインの繊細さを維持する。
という典型例が浮かび上がってくる。
左から順に
Montefioralle, Greve in Chianti
Val delle Corti, Radda in Chianti
Riesine, Gaiole in Chianti
Felsina, Castelnuovo Berardenga(東側)
左から順に
Mori Concetta, San Casciano in Val di Pesa
Isole e Olena, Barberino Tavarnelle
Pomona, Castellina in Chianti
Borgo Scopeto, Castelnuovo Berardenga( 西側)
Gran Selezzioneへの期待
同一のサブゾーン内で、テロワールの差異が大きく生じるというのは、何もクラッシコに限ったことでは無い。人が決めた境界線は、往々にして自然の境界線とは異なるものだ。しかし、クラッシコ内のサブゾーンの違いが非常に分かりにくいことは、間違いない。
テロワールをベースとしたサブゾーン制定のモデルケースであるブルゴーニュやボルドーにあって、クラッシコに欠けているものは何なのだろうか。
それは、象徴的存在、である。
つまり、ブルゴーニュにおける特級畑、ボルドーにおける第一級シャトーのように、そのエリアの特性を代表し、象徴となる偉大な畑やスタイルが、クラッシコにおいてはまだ確定していないのだ。
そこで期待されるのが、2014年から導入されたクラッシコの最上位格付けであるGran Selezione(グラン・セレジオーネ)だ。
Gran Selezioneは、その規定で「自社畑であれば、単一畑でも複数の畑から選りすぐった葡萄でも構わない」と定めている。自社畑と定められている以上、単一畑のみが認められると、実質的にモノポールしか認められないということになる。この場合、一つの畑に対する複数の造り手によるアプローチを比較検証した上で、テロワールの真価を図るという手法を非常に困難なものにしてしまう。Gran Selezioneは複数の畑のブレンドも認めているため、そのエリアの総体的なスタイルとしての洗練度を図る余地(ボルドーのように、比較的広範囲の畑の総体的特徴をワイナリー単位でまとめて評価する)が残されているのだ。これは非常に高く評価できるポイントである。
長期熟成型であるGran Selezioneは、リリースされているワインのほとんどが、いまだにテロワールの真価を発揮できる段階に至っていないため、正確な検証を行うには、しばしの辛抱が必要だ。
いつかの未来に、Gran Selezioneの中でも際立って優れたワインが判明してきた時、今はまだ薄い霧に包まれているクラッシコ・サブゾーン毎の総体的、象徴的個性が、明確になる日が来ることを期待して、辛抱強く待っていようと思う。