調和こそ美の真理であり、調和無き美は存在しない。
クラシックか、ナチュラルか。
探究を拒む人々によって二極化された世界観に興味を失ってから、随分と時が経つ。
固定された価値観の中で話をするのなら、私が探し求めているテロワール・ワインは、そのどちらでもなく、どちらでもあるからだ。
美の対は破壊であり、極端なクラシックもナチュラルも、極めて破壊的となり得るのだから、そこに美が宿らないのは必然である。
美とは理性的であると同時に、感性的でもある。
ワイン的表現をするのであれば、理性的な美とは、天地、葡萄、人の総体を意味し、感性的な美とは、極限まで純化されたエネルギーとなる。
理性的な美は、分析によって客観視することができるが、感性的な美は、極めて主観的なものだ。
だからこそ、美の真理へと到達するためには、私自身が理性的かつ感性的であらなければならない。
シュタイヤーマルク地方
オーストリアのシュタイヤーマルク地方を訪れた理由は、テロワールという美の真理を追い求めていたからに他ならない。
遠く離れた日本からの分析とテイスティングによって、シュタイヤーマルクという地に、理性的かつ感性的な美を備えたテロワール・ワインが少なからず存在していることは認識していたが、その地の雄大な自然を眺め、葡萄畑の土を踏み締め、風を肌に感じ、香りを取り込んで、ワインを味わう、つまり自らの五感を通じて体験する、という最後のピースをはめるために、どうしても現地を訪れる必要があった。
Part.1及び2では南シュタイヤーマルクの造り手たちを、Part.3では西シュタイヤーマルクとヴルカンラント=シュタイヤーマルクの造り手たちを通じて、美の理性と感性に迫っていくが、その前に少し、数奇な運命を辿ってきたシュタイヤーマルク地方の歴史にも触れておこう。