2023年も残り僅か。
今年の1月から毎月執筆してきた「ヴィニュロンの一年」も今月で最後となり、私のブドウ畑での作業は一区切りとなる。
1月の剪定から10月の収穫まであっという間に時間が過ぎ、収穫されたブドウ達はワインへと変化、ブドウ樹達は来春までの長い休眠期へと入った。
現在、畑で行う作業は殆どなく、静寂が広がっている。
2023年の地球は、観測史上で最も暑い年になることが確実だそうだ。
日本も同様、2023年の天気を表す漢字に「暑」が選ばれており、夏(6月~8月)の平均気温が1946年統計開始以降で1位を更新、また、東京都心では2023年の年間の真夏日日数の積算が90日と過去最多になり、今年最後に真夏日が観測されたのは9月28日となるなど、厳しい残暑が長く続いた。
来年は一体どのような気候になるのだろうか。
長野市は12月下旬にようやく軽い雪が降った。
【2023年】
2023年の1年間、良いブドウを収穫する事を第一に畑での作業を行って来たが、天候や害虫、病気等の影響で決して満足いく理想のブドウを収穫する事は出来なかった。
良いブドウを実らせる為に行わなければならない技術的作業は数多くあるが、自然が相手の世界で、それが全て上手くいく訳ではないことを痛感した。
特に減農薬/有機栽培を目指す私にとっては、ただの理想だけでそれが実現する事はあり得ない。自然の中でどんなに環境に配慮した農作業をしたとしても、それが農業である限り、自然とは対比してしまうという必然がある。
12月の静かなブドウ畑の中で、1年を振り返る。
今年見つかった多くの課題をしっかりと反省し、修正して来期に挑みたい。
「ヴィニュロンの1年」の最終回は、以下④点について自分の考えを纏めてみることにした。
①「農業とは」
②「農薬について」
③「日本で栽培すべき葡萄品種」
④「長野市浅川葡萄農園」
【農業とは】
農業とは?
農業の本質を理解せずして有機栽培など出来るはずがない、と実感した2023年。
自然と向き合う為に自分の立ち位置を、しっかりと認識しなければならない。
「農業」とは、人間が農作物を得る為に営む人為的行為であり、人為的生態系である。
主人公としての農作物、主人公と競争関係にある雑草、主人公の天敵にあたる病害虫、そして主人公とは直接の利害関係をもたない様々な生き物が、互いに関係をもちながら、農業生態系の中で生活する。
本来、自然に存在する生態系とは全く別の、見方によっては全く対照的なものとも言える。
野に生える花草、森の木々たち、山の植物や山菜は、誰かに世話されているわけでもなく、農薬や肥料や水を与えられているわけでもなく立派に生長し存在する。
人間が守らないと生存できない農作物、何もせずに生存できる自然。
この大きな違いこそが農業の本質であり、約12000年前、人類が開始した農耕は、自然生態系において行われていた秩序正しいエネルギー循環とは全く異なるものである。
人間が営む農業生態系で、農作物が病害虫によって大きな被害を受けるには理由があり、そしてそれは宿命でもある。何もしなければ自然界では勝てない植物を育てるためには、何かしらの保護をする、もしくは何かしらの環境整備をしなければならない。
遥か昔の人々は、神頼みをしていたそうだ。その後、多くの耕種的手法、環境管理、天敵生物の利用、物理的手法、化学物質の利用などが考えられ実行されてきた。
そして現在、世界の主流となっているのが「化学農薬」の使用である。
19世紀以降の農業において、化学物質は欠かすことできないものになった。
「農業は自然と対の行為である」ことをしっかりと自覚し直すことが、今後自分の求める農業を実現する為の最初の一歩であると考える。
【農薬】
現代農業の主流である化学物質をどのように判断し、使用するのか。
私は農薬を一切否定していない。いや、否定する事など出来ないと考えている。
私は農薬を、「石油」のようなものだと考えている。
現代社会で、石油を使用している人たちを否定できるだろうか?
50万年前に薪を燃やし始めた人類は、やがて石炭を燃やし、現在は石油を燃やしている。
18世紀半ばに起きた産業革命の時代、石炭は「黒いダイヤモンド」と言われ、20世紀初頭まで最重要の燃料であった訳だが、今では全く以て最重要な資源ではない。それどころか環境を考えれば使用すべきではない資源、という認識であろう。
農薬の世界でも同じ事が言える。
戦前までは、害虫や植物病原菌を防除するために、鯨油、石灰などが利用されていたが、その後、除虫菊、ヒ酸鉛やボルドー液などの天然物や無機化合物が農薬として利用されてきた。
戦後は、欧米から輸入したDDT、パラチオンや2.4-Dなど、多くの有機合成農薬が利用され、その後、国産の有機合成農薬も開発・実用化され、時代とともに多数の有機合成農薬が利用され、病害虫・雑草の防除効果が飛躍的に高まり、農業生産性は著しく向上した。
しかし、農薬による人体毒性や、野生の動植物における残留毒性などが次々と判明し、その使用に伴うリスクが国際的な問題として指摘され、低毒性で残留性の無い農薬が求められるようになった。
事実、過去に積極的に使用されていた農薬の多くは、現在使用禁止である。
主流は「時代」によって変わる。しかし、その時代の主流はその時点での最善(効率の観点で)な訳だから、それを使用する事は、ある意味当たり前な行為である。
上記の考えから、私は農薬を否定できない。
しかし、どの時代にも、その「当たり前」にNOと言う人達は存在する。NOと言い切らなくても、環境に配慮し、その当たり前の使用を最小限に抑えようと努力する人達が存在する。
その人達が言わば、減農薬や有機、無農薬栽培を実践する人達である。
「農薬は悪、使用するべきではない」と否定するのではなく、「出来るだけ農薬を使用しないためにはどうするべきか」を考えることの方が重要であると私は考えている。
そして、私のブドウ栽培での答えは、
「その土地特有の病気に強い品種(作物)を育てること」である。
【日本で栽培すべき葡萄品種】
読者の皆さまは、「日本で栽培すべき葡萄品種は何なのか?」という議論が100年以上も続いている事をご存知だろうか?
明治時代の始まりとともに、1870年に山田宥教と詫間憲久が日本で初めて葡萄酒を醸造してから急速な発展を遂げた日本ワイン史。
しかし、自生する山ブドウや甲州種を使用してのワイン造りから、徐々に欧州種のブドウを使用した高品質なワイン造りを行う目標へと向かったが、栽培に失敗し挫折したという過去の事実がある。そして、その中で栽培に成功したいくつかの米国種の存在。
日本の気候に合わない欧米種の栽培は諦めて、気候に合う米国種を栽培すべきだと言う意見、美味しいワインを造れない米国種など栽培する意味がないという意見、欧米両者の長所を合わせもつ交配品種をつくり出すのが最も良策との意見など様々である。
日本で欧州系ブドウを栽培する事が難しいという事実から、日本で欧州種を使用した品質の高いワインは造れない、という諦めの時代の中で蔓延した風潮を、浅井昭吾氏(浅井宇介)は「宿命的風土論」と呼んだ。
ブドウ畑は、それぞれに個性をもつ。差異があるのは当たりまえなのである。これを「風土の違い」と表現したあたりで、日本では銘醸地との差が、追いつくことのできない宿命的な落差の意味をもつようになってしまった。そして、この逆もまたワインの世界では根強く蔓延した。名づけて「宿命的風土論」という。風土とは、気象や地質のごとき自然を意味するものではない。その土地の自然に働きかけて、人間の営為がつくり出すものをいう。銘醸地は人間がつくり出すものである。だから動く。一見、それが運命的に定まっているかのように、ここ150年間ほど動かずにいると見えるのは、人びとが「宿命的風土論」の呪縛から逃れられずにいたからだ。ワインつくりにおいて、「恵まれた風土」とは、はじめから決まっているものなのだろうか。真実は、良いワインとなるブドウを育てた場所を「恵まれた風土」といっているだけではないか。それは神から与えられたのではなく、人間がつくり出したものであることを忘れてはならない。(2001年 浅井宇介ワインづくりの思想)
さらに浅井氏は以下の意見も述べている。
醸造用ブドウについて従来、品種改良こそが国産ワインの将来に希望をつなぐ道と言われてきた。日本という湿潤な風土だから棚づくりの栽培方法がふさわしく、そのフレームの中で、比較的栽培しやすいアメリカ系ブドウや、土着のヤマブドウにヨーロッパ系品種の資質を賦与する作業が営々と行われてきた。ブドウがうまく栽培されなければ醸造は成立しない、という論理である。だが、いまはその逆の発想をしなければならない時代になった。ワインは日本でつくらなくても、どこからでも入手できるからである。良いワインにならないブドウは栽培しても仕方がない。そうなると、「適品種」は風土に適した品種ではなく、商品として評価される品質適性をもった品種ということになる。品種を限定すれば、手だてを講ずる余地は「適作」にありと覚悟しなければなるまい。事実、世界のワイン造りの流れはこの方向に定まった観がある(1992年 浅井宇介ワインづくりの四季)
ワイン新興国で、新しくブドウを栽培し始めた人たちは、なんとしても「良いブドウ」をつくろうとする。彼らにとって目標は明快である。カビや害虫に侵されていない健全な果実であること。よく熟していること。よい品種であること。三拍子揃っていなければ「良いブドウ」とは言えない。どこにそのようなブドウが実る場所があるのか。かつては収穫量が多く、しかも安定していることが、その三拍子を判断する最も重要な基準であった。「良い品種」とは、粗放な栽培でも病気にかかりにくい強健で豊産なブドウのことであり、その生産コストが最も安く上がる場所に畑は拓かれた。しかしこれでは、われわれが思い描く「良いワイン」に到達することはできない(2001年 浅井宇介ワインづくりの思想)
そして浅井氏名は、1985年に長野県塩尻市桔梗ヶ原産のメルロー種で、日本最高峰のワインを造り、日本でも欧州系ブドウによる高品質なワインが造れると実践で訴えた。
2023年の現在、日本ワイン(葡萄品種)の主流は、この約40年の流れを組んだ「欧州系」である。
【長野市浅川葡萄農園】
日本国内のワイナリー数は増え続けている。来年には500件に届く勢いだ。
そして新興ワイナリーが生産するワインの殆どが、「欧州種」により造られたワインであろう。
約40年の歴史。しかし、時代は変わった。
1992年から30年が経ち、世界のワイン造りの流れは変わった。
地球環境とどう向き合いながらワイン造りを行うのか?
日本で100年以上も議論されている品種問題が、気候変動を軸に今は世界中で議論されている。
良いワインを造りたいという人間の「願望」と「欲望」。
そこに生じる己と自然への「負荷」。
気候に合わない植物を栽培することで必ず生まれる「矛盾」。
環境や己の肉体へ大きな負荷をかけてまで生まれた、高品質なワインの価値とは..?
色々なものを犠牲にしてまで、高品質なワインを造る意義とは..?
気候変動による環境問題への意識の高まりから、世界中で適正品種の見直しや、病気に強い品種への植え替え、有機栽培への移行が行われ始めている。
私の尊敬する福岡正信氏は言った。
自然農法とは、人知も人為も加えない自然そのままの中に没入し、自然とともにいきいきと生きていこうとする農法である。どこまでも自然が主体で、自然がものを作り、人間はこれに奉仕する立場をとる。(著書:自然農法)
世界と競争すればするほど、日本ワインは本質を失う。
ヨーロッパを目指し真似する必要はあるのか?
風土は変えれても、気候を変えることはできない。
今の時代を生きる私たちが向かうべきは、欧州種には劣るかもしれないが、日本の気候に合った地葡萄や交配種、もしくは米国種でどこまで美味しいワインが造れるかであり、日本食との相性も含め、日本独自のワイン文化を築く努力をすることだと私は強く信じている。
一方で、日本には僅かに欧州種を有機または減農薬栽培する生産者が存在する。
彼らの熱い情熱と畑仕事を、私は心から尊敬している。
12ヶ月間、未熟な私の記事を読んで頂き誠にありがとうございました。
どこかでお会い出来ますように。
Song Yookwang
長野市浅川葡萄農園
<筆者プロフィール>
ソン ユガン / Yookwang Song
Farmer
1980年宮城県仙台市生まれ。
実家が飲食店を経営していたこともあり幼少時よりホールサービスを開始。
2004年勤務先レストランにてワインに目覚めソムリエ資格取得後、2009年よりイタリアワイン産地を3ヶ月間巡ったのち渡豪、南オーストラリア「Smallfry Wines(Barossa Valley)」にて約1年間ブドウ栽培とワイン醸造を学ぶ。
また、ワイン産地を旅しながら3つのレストランにてソムリエとして勤務。
さらにニュージーランドのワイン産地を3ヶ月間巡り、2012年帰国。星付きレストランを含む、都内5つのレストランにてソムリエ、ヘッドソムリエとして勤務。
2018年10月家族で長野へ移住。ワイン用ブドウを軸に有機野菜の栽培をしながら、より自然でサスティナブルなライフスタイルを探求している。
2021年ブドウ初収穫/ワイン醸造開始。
現在も定期的に都内にてワインイベントやセミナーなどを開催。
日本 ソムリエ協会認定 シニアソムリエ
英国 WSET認定 ADVANCED CERTIFICATE
豪国 A+AUSTRALIAN WINE 認定 TRADE SPECIALIST