オーストリアで、総合的に最も優れた産地はどこか。
いくら捻くれた性格の私でも、その問いに対しては、一瞬のためらいもなくWachau(ヴァッハウ)と答える。
テロワールの質と好適品種として根付いた葡萄の極まった相性、品質の最高地点と最低地点の平均値、逸脱して優れた造り手の数、オーガニック比率の高さ。
どれをとっても超一級であり、白ワイン以外ほとんど造られていない、ということが弱点にすらならないほど、ヴァッハウの特異性は限界突破している。
それでも私は、日常的にヴァッハウを飲むことはほとんどない。
「不完全なものにこそ、人間性を感じる。」という、私の「人」としての在り方が、ヴァッハウの完全性とは本質的に相容れないからだ。
ヴァッハウを飲む、という行為は、私にとっては美術館で人類史に残るほど優れたアートを鑑賞するに等しく、実に非日常的な行動である。
同じような理由が、ブルゴーニュ、ボルドー、シャンパーニュ、モーゼル、ラインガウなどにも当てはまるように思われるかも知れないが、そうではない。